健康的な毎日が続いている。フィジーでの日々とは毎日のスケジュールも変更されたが、どちらの生活も充実していると感じている。
50歳を目前にしてこんな風に人生が変わるとは自分自身も想像していなかった…。イヤ、正確にはこんな変化のある毎日を望んでいたのかもしれないが、現実になる確信はなく、惰性で毎日を過ごしていた。
何が正解かは分からないが、きっと亡くなる直前に後悔しない生き方をしていれば、それが生の意味に対する答えであるだろう。
そんな事を考えながら、今朝も娘のお弁当に挑戦
昔々、母親に作って貰ったおべんとうを思い出しながら…。
毎日帰宅した娘にお弁当の味を聞いても、何が美味しかったのか覚えていない娘だが、恐らく当時の自分も意識して食べていなかったことだろう。しかし、この年齢になっても記憶に残っているのは、「美味しかった」こと。
娘にもできるだけ、美味しく食べてもらいたいと、親の思いは変わらない。
「美味しかった」と思う記憶だけが残ればいい…。あらためて両親に感謝である。
次に起床してくるのは現在中学2年の息子で、部活はバスケット部に入部して、キャプテンをしている。これも不思議だと感んじるのだが、私も中学時代はバスケット部のキャプテンをやっていた。誰も進めたわけでもないのに、やはり親子はどこか似るものなのだろうか…。おかげで試合観戦に行ってもちょー楽しい。
ところで、地元愛という言葉があるが、私が生まれた伊豆は美しい。
朝、息子を学校に送った帰りにふらっと海に寄ったが、改めていい所だと感じる。
フィジーと伊豆はどこか似ているのかもしれない。のんびりとしているところや、人々が穏やかなところ。
そして海が美しいところ…。好きだなぁ。
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